2012年11月23日金曜日

混浴温泉世界、別府。(4)


混浴温泉世界、別府(3) 続き





















【 4日目 】


滞在最終日。

まずは宿をチェックアウト。お世話になりました。


今朝も、別府に来てからのルーティンに移る。

まずは「カナンベーカリー」へ。

……

日曜定休……

よもぎあんパンが食べたくて仕方がなかったのだが……

渋々、別府駅中の小洒落たパン屋さんへ。

パンを買い、海門寺公園で食べる。

美味しいが、最終日をカナンベーカリーで締められない悲しさもひとしおだ。


今日はまず、platform02に行き、「水図」をじっくり拝見する。

もう一人の作者のブブさんが笑顔で出迎えてくれた。

この「水図」、人の記憶に引っかかる、不思議な作品だ。


続いて、伊藤存さんの作品を拝見しに、platform05へ。

入り口で、混浴温泉世界のTシャツを着た受付のお姉さんが俺を見るなり

「あれ!?昨日、トークイベントにいました?」

このお姉さん、昨日、俺の後ろにいたらしい。

そういえば、質問タイムの時に頭の後ろから軽快な声が飛んでいたような。

ああ、この人がアベリアさんか(←事前に噂を聞いていた)


伊藤存さんの作品は、刺繍だ。

キャンバスに縫ってある糸、近くで見れば糸なんだけど、距離をおいてみると水墨画のような絵になっている。

また、カラフルな松ぼっくりも置いてあり、これは別府に住む96歳のおじいさんの作品なんだとか。

platform05を出て、存さんとアベリアさんと話していると、そのおじいさんが金色に塗り上げられた自転車に乗って登場。

一同爆笑。噂をすれば影である。


存さん、アベリアさんに別れを告げて、また歩く。

もう会うこともないかもしれないが、またどこかで会えるような気もする。そんな不思議な親近感があった。


腹が減ったので、駅前のお店「とよ常」へ。

ずっと食べようと思っていたのだよ!特上天丼!

店内に入ると、あらっ、3年前に友達と夕食を食べに来たお店じゃないか。

なんたる偶然。そして天丼をペロリ。うんまい。


昼からは、またまた創平さんとブブさんのトークイベントへ。

昨日より詳しい話が聞けるそうだ。



思いの外、話が脱線しまくりだったが、それはそれで良かったことにしよう。


お次は、友人と合流して明礬温泉へ。

亀の井バスに揺られて30分ほどで到着。

うむ、明礬へはやはり自転車で行くべきだ!


温泉に入った後、またしても岡本屋売店へ。

メニューに抹茶プリンが加わっている!

蒸したまごと一緒に注文。

この蒸したまごの価格が1個100円。納得がいかんかったが、渋々購入。

だって、温泉の蒸気に置いておいただけでできる蒸したまごが100円って…ねえ

ぶちぶちと文句を言いながら、殻を割ってパクリ。

あっ……これは100円の価値あるわ、ごめんなさい。

むちゃくちゃ美味しかったので、帰りの電車で食べる用に、もう1個購入。気分ホクホク。


夜が始まりかけた明礬からの帰り道は雨。

薄暗い鉄輪の側溝から湯煙がもくもく。

湯煙に照明が当たって、とても不思議な光景であった。


別府に着いた。

僕はそのまま特急に乗って帰る。

現地集合・現地解散の友人たちに別れを告げて、改札を通る。


特急ソニックに乗りたかったが、違う車両のようだ。

それにしても、別府駅の「べっぷぅ~↑べっぷぅ~↑」というアナウンスにはつい笑ってしまう。

いろいろと愉快な街だった。


特急乗車中に、お弁当と蒸したまごを食べた。

電車の中で蒸したまごなんて、もう板東英二を馬鹿にできない。


小倉で新幹線に乗換えて、一気に京都へ。

こうして別府への小旅行が終わった。


かなり駆け足で書き上げてしまったので、ちゃんとまとめよう。







混浴温泉世界、別府。(3)


混浴温泉世界、別府(2) 続き



湖月 餃子


















【 3日目 】


今日も朝10時くらいから活動し始める。


まずはやはりパン屋さんへ。ここ、「カナンベーカリー」というらしい。

店内は狭くて、数人のおばちゃんが奥の工房でパンを作っている。

今日もパンを2つ購入。よもぎあんパンもリピート。


そして海門寺公園まで移動してから朝食。今日は猫がいない。


食後、お金を下ろしに駅のファミマへ、昨日ワインバーまでハシゴした友人と偶然会った。

友人といっても、僕より40年近く年長である。というか大学の教員である。

まあ僕は大学を卒業したし、気兼ねない人だし、友人としておく。


「今日は浜脇の方に行ってみましょう」

昨日、ワインバーの若い店員さんから別府の話、とりわけ浜脇の話を聞いていた。

そうして2人での行動が始まった。


別府市街地のアーケードを駅前通りから遠ざかる方向、南へ向かうと、どんどん風景が廃れていく。

飲食店の数が減っていき、シャッターが降りた店がチラホラ。

まあ、そもそも、日が出ている内の別府市街地はどこもまだ眠っているのだが。(それでも風俗店は元気に営業中)


しばらく南へ歩くと、アーケードがなくなる。

松原という地名に入ると、住宅が軒を連ねる。松原公園では子供達が遊んでいたり、おっさんが談笑していたりする。

この辺にある「六盛」というお店の冷麺がうまいらしい。バーテン情報。


さらに歩き進む。

背の低い住宅が並ぶ風景は、無防備で、空気が緩く、めまぐるしく進む日本社会とは切り離されたような世界だ。

なるほど、大分麦焼酎「二階堂」の世界である。


神社があった。狭い敷地内には立派な境内、それに能舞台まである。

神社には神様が祀られていて、人はその神様に何かを祈願する。

海が近いこの町の人々は、何をお願いしていたんだろうか。


川に突き当たった。「朝見川」というらしい。

別府湾に直結しているため、潮の流れが川を逆流している。


浜脇エリアに入った。

昔、別府が栄えはじめた頃はこの辺りが別府の中心地だったらしい。

温泉を中心とした歓楽街がここにあったんだと。遊郭ももちろんあったらしい。

今の浜脇は、別府に似合わないタワーマンションと寂れたショッピングモールがあるくらいだ。


僕ら2人も、元遊郭という木造の建物を覗いてみたりした。

混浴温泉世界の作品があるらしいのだが、どこにあるかよくわからない。


浜脇の「場末感」はハンパない。

しかし、少し歩けば、車がビュンビュン行き交う国道10号線に出る。

ここに出るとタワーマンションが馴染む風景に顔色を変える。


そんな風景はつまらんので、浜脇中学校へ向かう。

浜脇中学校は少し高台にあり、ここからの眺めが別府三景に入るらしい。バーテン情報。


石段を登り、浜脇中学校へ。土曜日であるが、部活があるため生徒はたくさんいる。

高台から別府を臨む。

地面から生えているタワーマンションが邪魔だが、いい景色だ。


山の方を見れば、昨日のコンクリート橋が遠くに見える。

海の方を見れば、まあ、果てしなく海がある。南方には大分市の工業地帯が見える。

山から海へかけての斜面に別府が広がっている。

狭いような、広いような。


その後、東別府駅から電車に乗って、別府へ戻った。

水戸岡鋭治デザインの車両は素晴らしい。


昼食は2人で、竹瓦温泉の横にあるtakeyaへ

だんご汁定食をいただく。美味しい。


そこで一旦解散。

僕はselect beppu→SPICAをぶらぶら。

道中、紙屋温泉が目に入ったので、そのまま温泉へ。

ここも100円。東京から来たという観光客とポツポツ話す。

しかし、熱い!紙屋温泉は熱かった。

風呂を出た後も熱が引かない。外の空気に触れて放熱しようと思ったら、紙屋温泉のおばちゃんに話しかけられる。

「混浴温泉世界」目当てで来たと言うと、「それなら、ここの2階でなんかしちょるよ」と。

熱が引かぬまま2階へ、畳敷きの大きな部屋に若い男の人と、謎めいた作品がある。

説明を受けてひと通り拝見したが、アートというか、文化祭の展示みたいだった。

おばちゃんにお礼を言ってさよなら。


「ジェノバ」のジェラートを海門寺公園で食べた。

なんて素晴らしい時間だろうか。そして海門寺公園という空間も素晴らしい。

わりと真新しいきれいな公園だが、海門寺や別府タワーが見えて、新しさと古さが視界の中で同居する空間だ。


次はコージーコーナーという喫茶店で、ジンジャーチャイをいただく。

ジンジャーチャイ、温かくて、美味しすぎる。

風呂あがりにジンジャーチャイを嗜むことは、ハイレベルな至福だということが分かった。



時間は夕方。

17:30からの創平さん達のトークイベントを拝聴。

相変わらず、創平さんの話は興味深いという意味でおもしろい。


その後、「湖月」へ。

ここは「餃子」と「ビール」しかメニューがない。餃子うまい。


そして「スナック優子」へハシゴ。

優子さんは実に素敵な女性である。


この日の夜に別府タワーでTOWA TEIのライブイベントがあるそうな。

踊った。

イマイチ、箍を外し切れなかったが。


そしてまたまた「スナック優子」へ

入ると、狭い店内に「混浴温泉世界」の関係者がズラリ。

いい年した大人が、何かを話しては爆笑しながら立ち飲んでいる。

楽しそうだ。


午前2時くらい、宿に帰って就寝。

二段ベッドの上の階には、巨大な外国人が大きないびきをかいて寝ていた。









2012年11月19日月曜日

混浴温泉世界、別府。(2)


混浴温泉世界、別府(1) 続き


楠銀天街
楠銀天街


















【 2日目 】


別府へは一人で来たが、すでに友人が別府に滞在しており、もう一人の友人も夕方には到着する。

この人達を友人と呼んでいいものか、微々たる躊躇はあるが、とりあえず「友人」としておく。



今日も朝から一人行動がはじまる。

ゲストハウスの自転車が無料で借りられるらしいので、そのサービスに甘んじることにした。

真っ赤なママチャリ。

この日、僕の冒険に付き合ってくれるママチャリである。


手始めに、昨日と同じ近所のパン屋さんでパンを2つほど買い、昨日と同じ公園で朝食タイム。

熟考の末選んだ、よもぎあんパンが大当たりだった。

昨日と同じ、この公園は「海門寺公園」というらしい。公園の隣には「海門寺温泉」という、別府では比較的きれいな銭湯がある。


よもぎあんパンのよもぎの香りを鼻から味わっていると、小麦の方の匂いを嗅ぎつけたハトがわんさか寄ってきた。

その図々しい嗅覚にスゲーナと感心していると、のそのそと一匹の猫が近付いてきて、ハトを追いやってしまった。

こ、こいつ、ハトから俺を守ってくれたのか……

とか感心しつつ、猫とともに朝食を終える。


海門寺公園
海門寺公園
















よし、鉄輪にでも行ってみるか!

鉄輪には昨日も行ったが、他に行く場所も思いつかないので仕方ない。

自転車で行くという過程自体が、ふだん自転車乗りの自分には大きな意味をもつのだ、ということにした。


鉄輪は別府市街地からはそれなりに距離があり、結構な坂を上らなければ、たどり着けない。

亀の井バスに揺られていれば楽チン20分ほどで着くが、ママチャリを漕ぐのは苦行だった。

天気も良かったので、暑い。

背中の熱を逃がすためバックパックを下ろし、トレンチコートを脱ぎ、じわじわと汗をかきながら、せっせと坂を上った。

しかし天気が良いので、その苦行がむしろ気持ちよかった。

晴れていればそれでいいと思いがちなのは、人間の自然な思考か、瀬戸内生まれの性か。


ようやく鉄輪に着いたが特にすることもないので、観光案内所に駐輪して、なんとなく海地獄へ。

3年前に来た時は、律儀に全ての地獄を拝んだが、今回は1つでいいや、と。


海地獄
海地獄


















中で親子連れの写真を撮ってあげた。喜ばれた。いい気分。

かぼすスカッシュを買って飲む。いい酸味だ。

足湯につかる。熱いので、つかった部分が赤くなる。なんかおもしろい。

海地獄を出て、近くのお店で1個50円の蒸したまごをいただきながら、次の行動を考える。

旅手帖beppuをパラパラめくりながら、2つめの蒸したまごの殻にヒビをいれる。

(この蒸したまごが無性にうまい。)


どうやら「岡本屋売店」の蒸しプリンが名物らしい。場所は明礬温泉。地図によれば鉄輪のさらに上、地図の上の方のはしっこに書いてある。

遠いのか……?

また悩みながら、ママチャリが待っている場所へ向かう。別府に戻ろうかなあ。

すると道の脇に停めてあったタクシーの運転手さんに話しかけられた。


「別府は明礬温泉が穴場っちゃね、岡本屋のプリン食べんと、それから、も少し行ったら展望台もあるんよ」

「自転車で来たんか!?そりゃ~ちょっとキツイわなあ」


みたいなことを言われ、ああ、やっぱプリンは無理か(ヽ´ω`)と諦める。

観光案内所に戻り、一応、そこのおばちゃんに自転車で明礬温泉に行けるか食い下がって聞いてみる。


「歩いたら30分くらいかなあ」

「お兄さん若いから行けるんじゃない?」


話を聞けば、あれあれ?行けるんじゃね?……行こう。


持ち前の楽観視に任せて鉄輪を出る、ママチャリを漕ぐ、上る。

リハビリセンター横の咲いてない桜並木を通り過ぎ

山の間に架かる、ウルトラマンが走り高飛びでも出来そうなコンクリートの橋の下を通り過ぎ

だんだん人気がなくなるけれど車は通る、曲がりくねった坂道をひたすら上る。



別府明礬橋
別府明礬橋


















「明礬」という単語がちらほら見えてきた。

キツイ坂をぐいんと上ると、そこに「岡本屋売店」があった。

一度諦めた場所に辿りつけた感動はひとしおだ。


早速、地獄蒸しプリンを目当てに中に入る。

時間は昼過ぎ、そういえば昼食もとっていなかった。

メニューに「蒸し温玉ごはん」というのがあったので、プリンとともに注文。


平日の昼過ぎであっても、店内はそこそこ人が入っていた。

日が差すカウンター席で温玉ごはんをいただく。うまい。

席においてある地元産のかぼす果汁をかけてみた。うまうまい。

そして、蒸しプリンもぺろり。普通のプリンと何が違うのか、自分にはわからなかった。


地獄蒸しプリン
地獄蒸しプリン



















岡本屋売店という目的は果たしたが、ここまで来たんだから明礬温泉を経て、展望台まで行こう。

ママチャリにまたいで、また上る。


白濁湯のイメージがある明礬温泉には入らず。

途中、「湯の花」という明礬の入浴剤をつくる、伝統的な藁葺き屋根の施設なんか見たりした。


そしてママチャリは上る上る。

おそらく時速10キロも出ていなかったんじゃないか。ひたすら重力と闘いながら坂を上った。


ようやく上り坂が終わると、ずいぶん開けた土地が。入り口らしき所に警備員が2人立っている。

どうやら自衛隊の演習場らしい。ふーん。

道を挟んで反対側、もうちょっと行った所に展望台の入り口があった。

正確に言うと、展望台、テレビ塔、霊園の入口だ。


自転車にとっては窮屈な車道から開放されて、意気揚々と展望台まで車輪を滑らせた。

着いた。


目前に広がる別府湾。

港にさんふらわあが停まっている。小っさ。

鉄輪からは湯けむりが幾本も立ち昇っている。

手前の山の中にはAPU(立命館アジア太平洋大学)がある。

タクシーのおっさんは、ここから四国も見えると言っていた。

見える、と自分に言い聞かせれば、水平線上に見える、気がした。


展望台には他にも何人か人はいたが、自動エンジンのついていない乗り物は、自分の真っ赤なママチャリだけだった。

景色にも飽きたので、山を下ることにした。

景色ではなく、今まで山を登ってきた自分の頑張りに別れを告げて、車輪を転がす。


帰り道はあっという間だった。

ものすごいスピードで下り坂を滑り降りる。車道を我が物にして、別府の風を切り裂いていった。


およそ5分もかからず鉄輪に着いてしまった。

行きにかいた汗が帰りで冷えてしまったので、風呂を探そうと観光案内所へ。

観光案内所のおばちゃんが僕を見つけるなり

「行ってきたの!?」 「ほんとに!?」 と言うので、展望台まで行ってきましたと言うと

「きゃー!」 「すごーいですねー!」 と

おばちゃん相手に英雄のような扱いを受けて、それはそれで気分がよかった。


結局、おばちゃんに教えてもらった幾多の銭湯の中から、「渋の湯」という銭湯を選んだ。

入ると、脱衣所の上の窓が開いていて、ちょっと頑張れば外から丸見えである。

(なんとも別府らしい……)

体を洗い、湯に浸かる。ふええ~

もう一人いたおじさんと、野球の話、京都の話、別府の話なんかをして一緒に銭湯を出た。

別府の地で、裸で、湯に浸かっていると、見知らぬ人でも普通に話せてしまうから不思議だ。


友人2人が別府駅で合流したらしいので、ほかほかの身体でママチャリに乗って鉄輪を去る。

鉄輪から別府までの道中は住宅街を通る。

夕暮れの中、学校帰りの子供や風呂桶を持った親子なんかとすれ違う。

濃厚な別府市街地とはまた違った光景である。

こうして自転車で別府市内を往復すると、別府の街のコンパクトさを体感する。


ぼんやり自転車を漕いでいると、別府に着いた。友人は「platform02」という場所にいるとのこと。

platform02は、明日から作品の展示が始まる場所だ。

ママチャリを宿に返して、夕暮れの商店街の中を急いで歩く。

platform02に着いた。中に入ると見知った顔が幾人かと、見知らぬ顔が幾人か。

奥にいた創平さんは呑気な顔で「やあ、こんな所で会うとはね」なんて言っている。


その後、「select beppu」の店長、園さん主導のもと、友人たちと共に市街地をうろうろ

そして、斯界の人々が日本一美味しい韓国料理屋と口にする「高麗房」という韓国料理屋へ。

うまい。とくに蒸し豚は絶品だ。


二軒目は、「スナック優子」へ

前回の「混浴温泉世界」でインリン・オブ・ジョイトイが作品を出した建物が、今はバーになっている。もともともバーらしいが。(もっと遡ると、ヤり部屋だったらしいが)


三軒目に、ワインバーへ行った後、宿へ。

・・・


2日目、長い1日が終わった。








2012年11月8日木曜日

混浴温泉世界、別府。(1)


11/1~4の間、別府に行ってきた。

目的は様々だが、学生時代に出会った京都精華大学の先生、山田創平氏が出す「水図」という作品を観るため、とした。

夏場から計画していた(別記事 BEPPU ART MONTH 2012)が、早くもその時が来て、もう滞在は終わってしまった。

しかし、滞在中の4日間は時間がゆっくりと流れて、とても充実した日々だった。


これはその回顧録である。個人的な。






【 1日目 】

正確には0日目から。

17時終わりのバイトを即行で切り上げて、17:20烏丸発の通勤快速に飛び乗った。

19時過ぎ大阪港発のフェリーに乗らなければ、いきなり旅が終わってしまう。

なんとかトレードセンター前まで着いて、諸手続きを済まし、フェリーに乗り込む。


いちばん安いツーリスト(雑魚寝の相部屋)に荷物を下ろし、別府に着くのを待つ。

フェリーさんふらわあ、これくらい大きなフェリーに乗るのは初めてかもしれない。


船内レストランでサンマをいただく。隣の席のおじさんは1Lのパック酒を持ち込んでいる。

ロビー設置のテレビで日本シリーズを観る。数人のおじさん達と熱を共有する。

日付が変わりそうな頃、デッキに出てみる。風が強い。偶然、瀬戸大橋の下をくぐるタイミングだった。圧巻。

部屋に戻り、寝る。隣のおっさんが近づきすぎてキモかったが、我慢して寝る。







朝7時、別府に着いた。

朝日にまみれて散歩。今日泊まるゲストハウスを覗いて、さて、何しよう。

とりあえず、近くのパン屋さんでパンを買い、別府タワーが臨む広くてきれいな公園でハトと一緒に朝食。

温泉にでも入ろうかと思ったが、タオルを忘れるという失態に気づく、別府に来といてだ。

やむなくトキハというショッピングセンターでタオルを買った後、バスで鉄輪へ。



鉄輪。「かんなわ」と読む。

別府八湯の一つ鉄輪温泉、そして地獄めぐりがある観光地だ。

この日は平日ということもあってか、観光客はさほどいない。

観光客の一人である僕は、観光案内所で温泉を紹介してもらい、旅館の通り湯へ行くことに。

ちょっと坂を上って、「東屋」という高そうな旅館へ。鉄輪が一望できる温泉を500円で独り占めした。

温泉、全裸、高台、景色一望、一人、昼間、と、開放感MAXのヘヴン状態。

気持よすぎた。


その後、旅手帖beppuに載っていた勝太郎食堂へ。拳大のおはぎを2つ胃袋に収めた。ちょっと後悔。

そういえば、ここ鉄輪、というか別府には猫が多い。

蒸し湯温泉の前で、太った灰色の猫をひとしきり撫で回した。

そして歩いて別府に帰ろうとするもリタイア、途中でバスに乗る。


別府に帰って、夕方、ゲストハウスにチェックイン。昼間の疲れで寝てしまう。起きたら20時。

食事を求めて商店街へ。賑やかで昼間とはまったく顔色が違う。

「千と千尋の神隠し」の、あの街を思わせる別府市街地。


結局、駅前のお店で日本シリーズを観ながらとり天定食をいただき、ゲストハウスに戻って寝た。


今思い返すと、わりとあっさり目の1日目だった。







2012年10月8日月曜日

不思議の街、天王寺と飛田新地


いやらしくない風俗のお話


タイトルなし
タイトルなし / titanium22




世は三連休。

とくにすることもないので、部屋で大人しくしていようと思ったが

18時ごろ、大学時代の友人に呼ばれて天王寺へ。

普段は京都に引きこもっていて、大阪は梅田より南に行くのは、5月にミスチルライブで京セラドームに行って以来というインドアっぷり

いや、イン洛っぷり?

天王寺も1年以上ぶりである。


待ち合わせの阪急梅田紀伊国屋さんで、木爾チレンの『静電気と、未夜子の無意識』を探すも、棚に無し…

なんでや!検索端末には「在庫状況◎」って表示されてたやん!


さて、

21時。

この日は友人の散策メニューにより、いったん日本橋へ。

日本橋で風俗店のひやかしをして、お姉ちゃんパネルを30人分くらい拝見。

ぼくちん風俗ははじめてなので友人&店員のテンションについていけず、写真もぜんぜんピンとこない。

パネルに写っているお姉ちゃんは、リアリティがなくて全然興味がわきませんでした。

ヘラヘラと苦笑いを顔に貼っつけた僕を連れて、友人は南へ。


日本橋から天王寺まで徒歩で向かったわけですが、この道中が案外、おもしろかった。


お寺の脇にある、清水の三年坂を思わせる趣きのある坂道

京都と違うのは、その背景にラブホテルのネオンが輝いていること。


天王寺駅の北にある美術館。

その敷地内を通る道は、緑にかこまれて、空気が落ち着いていて、天王寺にもこんな所があるんやなあ、と思わせた。

(この辺りは、あいりん地区のイメージが個人的に強かった)

まるで東京の上野みたいだった。

上野と違うのは、西の夜空に通天閣が顔を出していたこと。

ああ、ここは大阪なんだと確認できるこれ以上のものはないでしょう。(ちなみにこの日の通天閣は、黄色い光の縞模様)


あとは、SHIPSのお洒落な建物の真正面にラブホテルが位置していたりと

京都に引きこもっていた僕には、いろいろと刺激的な街だった。

京都の碁盤の目と違って、ナナメの道が所々に存在する、そんな普通のことすらも新鮮だった。


さてさて、

天王寺駅を南にいって、閑静なマンション街をうろうろ。

Googleマップさんによれば真っ直ぐのびた道を進めばあの街に到着するはず……

しかし一本道は突き当りに。

「あれー?この辺なんやけどなあ」

と、その時、突き当りに見えた道の足元に階段を発見。

マンション街のいちばん端っこに、まるで舞台を降りるかのような階段があるのだ。

ま さ か

夜の23時半、好奇心と手をつないで階段を降りた瞬間、あの街があらわれた。

飛田新地だ。


Tobitashinch / 飛田新地
Tobitashinch / 飛田新地 / titanium22



<飛田新地とは>
飛田遊郭(とびたゆうかく)は、大阪市の遊郭、赤線である。通称は飛田新地(とびたしんち)。大正時代に築かれた日本最大級の遊郭と言われた。 (Wikiより引用)



目前で僕らを誘う街は、さっきまでいた新興マンション街とは明らかに空気が違っていた。

オレンジ色の街灯が、なんとも言えない艶めかしさで街全体を包み込んでいる。


ここは写真を撮ることが暗黙のタブーらしいので写真は撮らず。


早速、ずらりと並ぶお店を、一軒一軒覗いてみるのだが……


レベル高EEEEE!!


噂には聞いていたがこれほどとは。

芸能人レベルかそれ以上の嬢がいるいる。

客引きのおばちゃんの横にちょこんと鎮座する嬢、目が合うとニコッと微笑んでくれる。


可愛EEEEEE!!


もうお店を覗くことに必死で、気付けば道に迷うという

「あれ、ここはもう通ったっけ?」

「この通りはまだ見てないんちゃう?」

下心は道を迷わせる。これ、人生にも当てはまりそう。


30分くらい、好奇心と僕と下心と、三人四脚で街を徘徊した。

お金があれば一度はサービス願いたい。いやマジで。

日本橋の風俗店ではピクリとも動かなかった性欲が、飛田新地ではかなりくすぐられた。



風俗というとやらしいイメージはつきまとうが

ここ飛田新地は、なんというか、とてもきれいだった。

風俗サービスは古くから日本に存在するし、大正生まれではあるが飛田新地はその歴史をずっとそこに携えている。

どんどん開発されていく阿倍野・天王寺エリアの隅で、そこだけ風俗の歴史が生き残っている。

飛田新地という街は、風俗というものをすごくきれいでおもしろく見せる

まるで千と千尋の神隠しのような感じ。

階段を降りると、そこは不思議の街でした

みたいな。

この街は絶対に消しちゃいけない。

とくに責任感もなくそう思った。


それから、もうひとつ飛田新地のおもしろいところ

それは街中、男しかいないことだ(笑)

加えて、通りを車が頻繁に通る

彼らは車の中から一軒一軒店を覗いているのだ。

サファリパークかっ!

友人が飛田新地を「動物園」と表現していて、それはあまりにも失礼だろうと思っていたが……

その光景はサファリパークだった。


結局、その後スパワールドに宿泊して朝には京都に帰った。


天王寺は濃密な空気が漂う、素敵な街だ。

そして、新しく開発された街のすぐ隣に、古い街がひっそりと佇んでいる。

この空気のギャップがとても印象的でした。



ちゃんちゃん
















2012年10月1日月曜日

映画「コッホ先生と僕らの革命」、感想。


ずいぶん久しぶりに映画を見た。

はじめて京都シネマで映画を見た。

あのぐらいミニマルな劇場もよいなあ、と。


「コッホ先生と僕らの革命」
(公式サイト:http://kakumei.gaga.ne.jp/top.html

コッホ先生と僕らの革命














<ストーリー>
1874年、イギリス留学を終え、ドイツへと帰国したコンラート・コッホ(ダニエル・ブリュール)。とある名門校へ英語教師として赴任した彼は、授業の一環としてサッカーを教える。サッカーを通して、子どもたちはフェアプレーとスポーツマンシップの精神を学び、それまで抱えていた階級や国籍に対する偏見が少しずつ薄れていった。しかし、帝国主義下にあったドイツでは反英感情が高まっており、イギリスで確立されたサッカーは反社会的なものの象徴であった。地元の有力者やほかの教師たちは、コッホを学校から追い出そうとするが……。




簡潔に感想を述べるなら……(以下、一部ネタバレあり)





既視感のある展開だったが……よかった!

何が?


「サッカーは素晴らしい!」

とか

「学校教育は大切だ!」

とかじゃなくて



心がぐぁーっとアツくなる楽しさみたいなもの?

そんなものの前では、人間の関係はフラットに、みんな一人の人になる。

身分とか、貧富の差とか関係なく、だ。

劇中、いじめっ子(裕福な家庭)のフェリックスと、いじめられっ子(貧しい家庭)のヨストが、最初はバリバリのいじめ・いじめられの関係だったが、最終的には試合で抱き合って喜び合っていたのがとても印象的だった。

涙腺に震度4くらいの衝撃が^^;

(貧しくいじめられっ子のヨストが、メッシばりの切り込みを見せていたのには思わず笑ってしまったw)

そのような階級社会での生徒の身分差。

さらに、規律と統制でガチガチの帝政ドイツと、イギリスから来た自由なサッカーという摩擦。

このギャップや軋轢まみれの人間関係を、そのぐぁーっとアツくなる楽しさみたいなものが人々をひとつにする。

そういうのって、やっぱ、素敵やん、と再認識させてもらった。


これはサッカーに限らず、アートでも同じだ。

例えば、ブラジルのリオは住んでいる人の格差が大きい

しかし、カーニバルになると身分関係なく街がひとつになるそうだ。


なーんとなく、そういうことっていちばん大事だなあと、なーんとなく、しかし激しく感じた。




ついでに、

フェリックスの人間関係とそれに伴う心境も、興味深かった。

・ クラスのボスで陰湿ないじめっ子のフェリックス。新任のコッホに反発するが、次第にサッカーの魅力にとりつかれていき、やがてチームの一員に。

・ 強大な権力をもち、息子も服従させる父親をもつフェリックス。その父親に強制され、従い続けるが……

・ 家の使用人に恋をするフェリックス。身分違いの恋愛を父親に引き裂かれるが、黙って従うのももう終わりだ!このクソ親父!


といった感じで、

父親に従い続けるフェリックスが、やがて、父親とクラスメイトとの板挟みになるような状況になり、最後は、父親に反発し、仲間とのサッカー、恋愛という自らの意志に従っていく。

フェリックスがいろんなものと闘っていることがわかる。




ついでについでに、

この映画は19世紀末のドイツが舞台。

劇中に出てくる人の服装がみんなお洒落で印象に残った。

教育委員会の偉いおっさんも、学校の生徒も、工場で働く女性も、

みんなベーシックカラーに身を包み

それぞれ、いろんな形の襟をしたシャツや、ハンチング、チェックのベスト、革のブーツなどなど

この時代に当たり前だったファッションが、すごく新鮮に見えた。

これも、この映画の見所のひとつだと思う。


たまには映画を、それもミニシアターを見るのもいいなと思えましたっ。


ちゃんちゃん







2012年9月17日月曜日

がっかりスポット?銀閣寺


銀閣寺に来て「わび、さび」を感じた、それほんと?

銀閣寺の紅葉
銀閣寺の紅葉 / norio.nakayama



ふわっとして、尚且つすーっとした秋の空気にだんだんと包まれてきた。

最近、伊右衛門 焙じ茶のラベルデザインが変わってることに気づいた。

そんな伊右衛門を見ると、デザインは大切だなあと思わずにいられない。

僕はペットボトルのお茶はいつも伊右衛門を買います。

お茶の違いなんかわからないけど、デザインが好きでそれにする。

味覚の満足の他に、情緒的な満足が得られる(気がする)。

だから僕は伊右衛門を買います。



さて、



最近、無印良品などで有名なデザイナー、原研哉さんの著書『日本のデザイン』を読んでいます。

薄い新書ですが、ページをめくる度に出会う発見と興奮、そして遅読のためにまだ半分ほどしか読めていません。

そんな中で個人的に小さな、しかし爽快な発見がありました。


「シンプルとエンプティ」という章での話。

原さんはここで、慈照寺東求堂同仁斎(銀閣寺にある書院造りの部屋)を取り上げ、それを「シンプル」とは本質的に異なる「エンプティ」と称している。


”「何もない」ということが意識化され、意図されている。”

”空っぽの器であることによって、人の関心を引き込んでしまう求心力として「エンプティネス」は体得され、運用されていたのだ。”
                            (引用:『日本のデザイン』著・原研哉 p.62)


それから、足利義政による東山文化について、とても綺麗な文章で書かれていました。


この辺りのことを読んで、「なるほどっ」と思いました。

何が?




僕は、銀閣寺には2~3回ほど行ったことがある。

銀閣寺といえば、よく


「わび、さびがあって素晴らしい」 とか、

「金閣寺より銀閣寺だよね~」 とか、


銀閣寺の「ちょっと違う素晴らしさ」みたいな評判を聞いていました。

なので、初めて訪れる時にはそれなりに期待していました。

しかし、行ってみると


「……」

「……」

「……ゎ、わびさびだね(苦笑)」


なんというか、必死に、というか無理矢理、拝観料の対価を認めようとした。

結局、期待していたものは無く、はっきり言ってがっかりしました(銀閣寺ファンの方すみません)。

金閣寺の方がよっぽど素晴らしかったです。

何故か?




話を戻します。

銀閣寺は「エンプティ」を美しさとし、東山文化の中心として、芸術オタクの足利義政が建立したものです。

>「エンプティ」を美しさとし、
>「エンプティ」を美しさとし、
>「エンプティ」を美しさとし、

ここ、大切なので繰り返しました。

そう、銀閣寺は「エンプティ」「何もないこと」こそが美しさであり、それが所謂「わび、さび」につながります。


僕が「なるほどっ」と思ったこと、それは

「エンプティ」を美しさとする銀閣寺に、騒々しい観光客がうじゃうじゃと存在すると、そこに「エンプティ」は存在しなくなり、美しさを失う。

ということ。

銀閣寺にがっかりした理由がこれでした。

写真や映像で紹介される「美しい」銀閣寺には、観光客って写ってませんよね。

銀閣寺に、大勢の観光客は似合わない、馴染まない。

僕も観光客の一人なので、あまり文句も言えませんが^^;



対照的に、金閣寺はそのきらびやかな豪華さが「美しさ」だ。

そこにギャラリーがいることで、目立ちたがりの金閣寺の美しさはなお際立つんだと思います。

つまり、うじゃうじゃと観光客がいても、それが似合う、馴染む。

だから金閣寺は素晴らしかった。


現代の、うじゃうじゃと観光客が訪れるという条件の「観光スポット」としては、

銀閣寺は美しさを失い、金閣寺は美しさを維持できる。



「美しさ」のコンセプトにおいては、僕は金閣寺よりも、銀閣寺の方が好きです。

一度、人がいない銀閣寺を訪れてみたいものだ。

足利義政が意図した「美しさ」を見せる銀閣寺というのは、それはもう素晴らしいでしょうね。

京都を観光される方は、銀閣寺には朝の内に廻っておいた方がいいかもしれませんね。

銀閣寺に限った話ではないですがw


ちゃんちゃん










2012年9月15日土曜日

怒り新党(9月12日)のマツコ・デラックス


マツコの部屋 アンタがいるから素直に笑えないのよ 編 [DVD]



マツコ&有吉の怒り新党

いつも楽しく拝見しております。ええ。

とくに先日、9月12日の回は印象深かったです。


気になった「怒りメール」

「女性が強くなった・女性の時代」という一般女性に腹が立つ (40代・男性)

ざっくり一行で言うとこういうもの


これに対して、有吉さん100%賛成、マツコさん100%反対w

このトークでの有吉さんとマツコさんの立場が、なんだか日本のジェンダー観を象徴しているというかなんというか。


(以下、部分的にコメントを引用)


マツコ「でも『女の時代だ』って言い出したのは男だからね」



有吉「俺らはそうじゃない、庶民は」


マツコ「その辺の会社のさあ、ハゲ部長とかだってさあ、そういう目で女の子を見てるのよ」

    「で、なんかあって、ちょっと勝気な女の子が出てきて、女の主張だみたいなことを言ったら」

    「『女のクセに!』って言うのよ」

    「それがあることを前提にしないと、かわいそう、女が」

マツコ「私はこういう話題になったら、絶っ対に折れないわよ!」



有吉「こりゃあ、もう……女の時代だ(苦笑)」

「いつも男は茶化して逃げる」(テロップ)



テレビ番組の引用をブログに書くというのは、著作権がらみのグレーゾーンでちょっと怖い^^;

(奇跡的にこのブログをご覧になって興味をもった方は、誤解を招かないためにもちゃんと番組録画を見て欲しいですw)



● メディアは男の頭で出来ている、、、俺らは?

さて、

確かに、雑誌やTVなどマスコミで決定権をもっているのは、男尊女卑の思想が強い所謂「ノンケのおっさん」でしょうね。

そんなおっさんたちが、日本中のマスにコミュニケーションしているんだから怖いことだわ。

そんなコミュニケーションが当たり前の環境の中にいる僕たちも、無意識にも男尊女卑の考えになっていてもおかしくはない。

有吉さんが「俺らはそうじゃない」って言ったけど、どうでしょうね。

自分がそうだと気付いてない、またはそうだと思いたくない人は多いんじゃないかな。

現に僕もまだまだ男尊女卑の”シミ”は残っていると思う。

例えば、「事務職=女性」みたいなステレオタイプというかイメージみたいなものはまだ拭いきれません。

「男はこう」「女はこう」っていう昔ながらの性役割の考えは出来るだけ捨てたいんですけどね。



● バラエティ番組に出演するLGBT(L=レズ、G=ゲイ、B=バイセクシャル、T=トランスジェンダー)

さてさて、

マツコさんがこのようにガチの話を、バラエティ番組でするのはとても大切なことだと思います。

ジェンダーとかセクシャルマイノリティの話って、あまりこちらから能動的に聞こうとは思わない。

だから、万人が視聴するバラエティ番組にマツコさんたちが出て、ジェンダーとかセクシャルマイノリティについて主張するのはいいことですよね。


僕もそう思ってました。


しかし、こういう見方もあるようです。

「ゲイやオカマは、バラエティ番組のキャラクターとして消費されている」

ゲイの知り合いが多い友人から又聞きしたことなので定かではありませんが、確かになあと思う。

KABAちゃんとか、楽しんごとか、面白いですもんね。

そしてそれを面白がるように番組も構成されている。


今回の怒り新党でも、有吉さんが茶化しますw


これは、もしかしたら有吉さん本人の意志ではなく、有吉さんが「バラエティ番組」という空気を読んで、わざと茶化してるのかもと感じました(わかんないけど)。

日頃、別のバラエティ番組での有吉さんを見てたら、まあ、あり得なくはないなと。

ああいう番組でガチ討論の末、笑いがなかったらちょっと不安になりますよね。

でも、マツコさんが真剣に語っているところに追い風となるBGMを流したり、大事な場面にちゃんとテロップを入れてるあたり、怒り新党は健全なのかな?

ちゃんとキャラクターとして消費するだけじゃなく、マツコさんの主張をボカさなかったのは、なんだか安心しました。


しかし、ジェンダーよりも差別意識が強いであろうセクシャルマイノリティに対してはどうですかねぇ。

彼ら彼女らがテレビ番組を盛り上げる姿は毎日のように見るけど

彼ら彼女らがテレビ番組で悲痛な叫びを上げているのはあまり、ほとんど見ません。

そう考えると

「ゲイやオカマは、バラエティ番組のキャラクターとして消費されている」のかもしれません。


いやあ、しかし、今回の怒り新党は神回だったと個人的に思います!

こうやって真剣に性差別について考える機会が身近にあるといいですな。

なんか僕がフェミニストみたいになってますが、そういう自覚はあまりありません。



僕がこんな風に、ジェンダーやセクシャルマイノリティについて考えだしたのは、本当につい最近です。

身近にゲイの人がいたからです。

ちなみに僕はヘテロ(ノンケ)です。

よくゲイコミュニティのことを「あっちの世界、そっちの世界」と言いますが、

住んでる世界は我々と同じです。

よく「男だから~」「女だから~」と言いますが、

体つきなどの「性差」はあっても、「~すべき」という「性役割」はあまり無いのかもしれない。


まあ、難しい問題です。

もっと勉強していきます。


訪問者の少ない当ブログですが、こういうテーマにはあえて見てる人がいる風な口調にしてみました。

もっと訪問者増えねぇかな(ヽ´ω`)

増やす努力はしませんが!





続・世迷いごと












2012年9月13日木曜日

道路(歩道)の車道側は、男が歩かなくてはいけないのか?



an・an (アン・アン) 2012年 2/15号 [雑誌]


9月、ちょうどよい気温です。

とくに夕方から夜にかけて、私たちを包みこむ空気は、やわらかくてとても心地よいですね。

日本の四季は素晴らしい!


さて

最近、なにかとジェンダー論に関することが僕の中で話題です。

美容室に行けば、「taco894くんは中性的だよね」とか、

「女性以外の応募はお断り」の求人に出くわしたり、

マツコ・デラックスが深夜番組でジェンダーについて熱く語ってたり(これについては印象的だったのでまた別記事で書きたいな)

女性だから、男性だから、みたいなワードをほいほいと僕のアンテナが拾っていく今日この頃です。

といっても、1年以上前から(セクシャル)マイノリティに関係する大学の先生たちと知り合っていたので、そのようなことについて考える機会はあったのですが。


さてさて

そこでひとつ思い出したことがあり、取り上げたいことがあります。


「道路(歩道)の車道側は、男が歩かなくてはいけないのか?


以前、このことで母と口論したり(苦笑)

友達(女性)の意見を聞いて、ふんふんと頷いたりしました。

僕個人の暫定的な意見を言うと、

「少なくとも僕は車道側を歩く、わざとらしくない程度に」

という、おぼろげで不確定な感じです^^;

理由は

・ 男性のほうが、衝撃からのダメージに強い(ハズ……今でもよくわからん)。
・ かっこつけたいというエゴ
・ 「男だから車道側を歩かなきゃみっともない」という得体の知れない風潮に対する怯え

気の強い女性が隣だとそのまま安全な方を歩いたりしますが。
(そもそも、そんなに女性と歩く機会もあまりないけど)

こうしてみると、「男だから女を守らなきゃいけない」という考えに寄ってますね。


しかし、友達(女性)は言いました。

「男に車道側を歩かれるとムカツク!」

理由は

・ 何カッコつけようとしてんねん、腹立つ!
・ そもそも女扱いされると腹立つ!
・ 女性のほうが男性に比べて痛みに耐えられる身体の構造

女性にもいろんな人がいると思いますが、そこにいた2人の友達はこのように意見が一致。

どちらも女子プロレスラーや肥満体型ではなく、僕より華奢な体つきの普通の女の子ですが。

あれあれ、女性は守られて嬉しいみたいに思うんじゃないのか、と当時は少々驚きました。


しかししかし一方で、僕の母親は言いました。

「あんた、女の子と一緒ん時は、ちゃんと車道側歩いとるんな?」

「そんぐらい出来んと、あんた、ダメよ(嘲笑)」

前述の友達の件があったので

「すべての女性がそうじゃない」

と反論するも

「じゃけえ、あんたはダメなんよ(嘲笑)」

そして、息子の立場では、もう何を言っても無駄だと悟りこの話題は流しました。



これらの件から思うこと。

「男だから~すべき」

「女は~な生き物」

「男だから」、「女だから」という区別。


これは……なんじゃろな??

そもそも、男女の性別を区別する要素は何か、と、これを書き出したら長くなるので割愛。

しかし、<男・女>はおそらくアンケート用紙に○をつけるように、2つに別れるようなものではないんじゃないか。

おそらく、これは僕のイメージだが、男女というのはグラデーションのようなもので

戸籍上は男性でも、女性らしい人もいる。

戸籍上は女性でも、男性らしい人もいる。

そして、オカマやオナベもいるし、性同一性障害に悩む人もいる。

ん?性同一性障害を「障害」たらしめているものって、心身の機能不全とかでは全くなくて、この社会の環境じゃないか(と今思った)。

といった具合に、男女で身体の特徴(性差)はあれど、それに宿る心については、中心にボーダーを引いて、「こっから男ね」、「こっからは女ね」と区切れるものではないんじゃないかと思う。

身体に関しても、たまたま男女がそれぞれの生殖機能をもっているだけであって

だから「女性は子供を産まなきゃいけない」とかっていう「性役割」を押し付けられる必要もない。

他にも…と言いたいことが山ほどあるが、掘ったらキリがないので、最初のテーマに戻ります。


ええと、「道路(歩道)の車道側は、男が歩かなくてはいけないのか?」

男だから歩く必要はないし、歩かない男はダメじゃないし、女だから守られる必要もない。

男だから、女だから、というものを取っ払って、ゼロベースからの個人の自由にどうぞということで。

僕の「かっこつけいたいというエゴ」というのも、人によっては迷惑なものなんだろうな。

でもやっぱり、サッと車道側に(さりげなく)移って、女の子に「ありがとう^^」と言われるのは気分いいです(「ありがとう」と言われるってことは気を遣われてるんだろうけど)。

この辺は、僕という個体の中の「男らしさの部分」みたいなものが反応してるんだろうか。

うむうむ、本当に難しいテーマだ。

僕もジェンダーについてはまだまだ関心をもったばかりなので、わからんことばかりです。

しかし、今のように社会的劣位やマイノリティについて考えたり、

身の回りの事象について、あたりまえを疑い、考えないことを疑う。

そうして一歩一歩、「成熟した市民」になっていきたいものです。


お姫様とジェンダー―アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門 (ちくま新書)









2012年9月1日土曜日

美容室はただ髪を切るだけの場所か?


hair cut sign
hair cut sign / gurdonark


先日、けっこう髪を切った。

今までで初めてなくらいショートにした(サッカーコートの芝くらい?)。

案外、ショートもいけるもんやなあと、


まあ、そんなことはいいとして

今回、髪を切る際に、「あれ?」と思うことがあった。

美容室に電話して予約をした後に、鏡を見て思った。

「あれ、まだそんなに伸びてないじゃん……」

鏡に写る自分の髪は、就職面接にも余裕でいけるくらいの長さだった。


普通は髪が伸びて(というか増えて)、鬱陶しいなそろそろ切ろうか→切る、という流れだろう。

しかし今回は

「そろそろ(美容室に)行きたいな」と思って電話した感じがある。

つまり、美容室に対して「髪を切ること」以外の目的を求めていたのだ。


それは何か

多分、「気分の調節」みたいなもんだと思う。

最近の個人的なモヤモヤ

・ 盆明けくらいに人間関係でモヤモヤすることがあった。
・ 自分の将来に対する迷い。
・ 現状にも迷い、時間は過ぎていくこと。

などなど

何か自分の中で渦巻くものをちょっと整理するとか

スパっと気分を切り替えるとか

そういう効果があるんだと勝手に思う。

「女は失恋したら髪を切る」

という言葉もありますが、そんな感じかな?

ただ髪を切るだけだが、それには案外、大事な効能が隠れているんだと思う。


それから、美容室という非日常の空間(美容室ってすごく綺麗ですよね)

笑顔で向かえてくれるスタッフさん(安心します)

1~2ヶ月に1度という定期イベント


まるで、人間の定期メンテナンスのように感じる。

髪を切り終わり、スタイリングされて、お金を払い、笑顔で退店する。

その時に見上げる空は、いつもなんだかスーッとした透明感があるような気がします(言い過ぎか)。


人によっては「何をわかりきったことを……」という人もいるかもしれないが

それだけ僕にとっては大切な時間だということです。

美容室さん、スタッフさん、ありがとうございます\(^o^)/



2012年8月29日水曜日

車輪の回転と頭の回転



依存と自立と孤独の三点倒立。


自転車に乗っているときに、ふと思いついた言葉である。

意味は特に深いものではない。

適度に人に頼り

適度に一人でいる

しかし、どちらかに倒れると、依存や孤独に身を滅ぼしてしまう。

このバランスをいい具合に調節できたら、いい具合に生きれるんだろうなと思った。


[図表]
依存と自立と孤独の三点倒立





















そんなことをしばしば考えつくのは、だいたい自転車に乗っている時だ。

自転車に乗っている時というのは、他に何もすることができない状態だ。


ペダルを踏む

ブレーキを握る

視覚判断

聴覚判断

とか


この辺のことは深く頭を使わなくても勝手にできる。

いわば「自動操縦」に近い状態。

では、使っていない頭の残り容量は何に使うか?

それは、何かを考えることだ。

手足が塞がって脳みそだけ宙ぶらりんの時、頭は勝手に回転する。

しかも、机に向かっている時よりも圧倒的に頭が回転する。

机に向かうと、雑誌だのPCだの、どうしても誘惑が目について集中できない。

自転車に乗っている時というのは、それらの誘惑を一切排除して頭だけ動かせるのだ(むしろそれしかできない)。


自転車以外にも

電車に乗っている時とか、シャワーを浴びている時なんかも脳内だけぐんぐん回転する。

だから、考え事をしたい時にはオススメの動作だったりする。

しかし、事故には気をつけよう。


Bicycle traffic signal in Amsterdam
Bicycle traffic signal in Amsterdam / James D. Schwartz


2012年8月19日日曜日

BEPPU ART MONTH 2012


今、別府がアツいらしい。(温泉の温度的な意味ではない)

そしてやはり僕は別府に行きたくてしょうがない。


友人が別府に行くので付いて行こうかと思ったけど、さすがにやめといた(就活しなきゃ)。

ちなみに、その友人の友人(僕の尊敬する知り合い)が別府でアート活動をしている。

なにやら今、別府がアツいらしい。


「 ベップ・アート・マンス 2012


ベップ・アート・マンス 2012








というものがあるらしい。
湯のまち別府ならではのアートフェスティバル
らしい。

___めちゃくちゃ興味ある。






僕は今年の6月に一人で別府に行った。

目的地は長崎だったけど、その途中で寄ってみたのだ。

そして、別府は素晴らしい街だった。


早朝、フェリーで別府に着いた僕は、海岸をぶらぶらした。

しばらく海を眺めた後、友人から別府の商店街がおもしろいと聞いていたことを思い出し、商店街へ向かった。

早朝の商店街は閑散としていて、ゴミをついばむカラスとか、コインパーキングで寝ているおっさんくらいしか見るものはなかった。

さすがにつまらんので地図のすみに載っている銭湯に向かうことにした。

竹瓦温泉


「竹瓦温泉」

6時半の営業時間前から、地元のおっちゃん・おばちゃんが店の前で元気にしゃべっている。

いちばんよくしゃべるおっちゃんに写真を撮ってもらっていたら暖簾があがった。

店のおばちゃんと挨拶を交わしながら、みんな店に入っていく。

僕もおばちゃんに挨拶をして入る。建物の中をきょろきょろ眺めながら男湯に向かった。

男湯の構造は、脱衣所と入浴所に仕切りはなく、脱衣所から階段を下りて行くと湯船が構えている。

着替えて階段を降りると、あれ?シャワーがない。

そう、ここは限られた湯船の湯だけを使って身体を洗うシステムなのだ。

どどどどうするんだ、と困惑していると、元気なおっちゃんが話しかけてきた。

「お兄ちゃん!ここ初めて?」

「あ、はい」

そうして、身体の洗い方、湯の入り方をレクチャーしてくれた。

「ここはみんなでこれだけの湯を使うからな、初めての人にはこうやって教えるの」

おっちゃんは話しながらジャバジャバと風呂の使い方を教えてくれる。

「ほい、自分でやってみて!」

僕も上から下まで見よう見まねで体を洗う。

ひと通り洗い終わった僕はようやく湯船につかる権利を得た。

ぼけ~っと湯に溶けていく身体。

おっちゃん達は漁師みたいな風貌のくせに、ヨコモジを並べてペラペラとWindows7の話をしている。

するとまた、初めての人が入ってきた。

それを見たおっちゃんが

「兄ちゃん、さっきやったみたいに教えてやり!ニヤリ」

「っ!?」

おおおお俺がかよ!

逆らうことも出来ないので、にこにこへらへらしながら、おっちゃんと同じように年上のお兄さんに教えた。

慌てながらも、ああ、なんかおもしろいなあと思えた。

その後、おっちゃんにお礼を言い、風呂を出た。

風呂屋のおばちゃんと軽くおしゃべりし、おばちゃんと写真を撮って店を出た。



この風呂屋での出来事から、別府がなんとなく好きになった。

観光地ということもあり、外から来た人に対してとても親切かつ面白い。

外に対してにオープンで、内に対して親密(そう見えた)。

友人の話では、昼間っから風俗嬢が商店街でちんどん屋のごとく太鼓を叩いて客引きしているとのこと。

想像したらおもしろい。

古いものと、新しいものが融合・共存する街が僕は大好きだ。

僕は朝の別府しか知らないので、今度は別府の一日を知りたい。

秋の「ベップ・アート・マンス 2012」にも絶対行こうと思う。

手元にある『旅手帖 beppu』を読みながら、今からうはうはしているのである。


旅手帖beppu








2012年8月5日日曜日

心のチューニング



The Art of あの夏で待ってる
















8月、暑い。


大学を卒業して、はや4ヶ月になる(まだ4ヶ月かとも思う)。

この間に、ずぅっと頑張って就活をしていたかと言えば、否。


イチから就職セミナーを受けたり


口約束の内定をもらって浮かれたり


入社日まで時間的猶予があったので、1週間の旅行に出かけたり


旅行中に来ていた内定先からのメールを、4日後に返信したり


そしたら、「返信が無かったので辞退したのかと思いました」→内定消滅
 
無気力週間……からの復活など


比叡山のような山や、保津峡を思わせる谷を越えて、今に至る。


ここ1ヶ月、はやく就職せねばっ!と精神的に自分を追い込んでいたが

卑屈になったり、ウソつきになったりして、かなり自分を苦しめた。

やはり、このスタイルは自分には合わないらしい。

このままじゃ精神的にヤバイと思い、ちょっとガスを抜いてみた。

するとまあ、楽になったし、前向きになれた。

自分は気を抜いてなんぼなんだと再認識した。


しかし、ガスを抜いたといっても、完全なる現実逃避の悟りを開いたとかではなく

もうちょっと精神的に余裕をもって臨もうかという程度だ。



  • 「はやく就職しなければいけない」という超A級の憑き物


「はやく就職しなければいけない」

この漠然とした考えは、心霊研究家も裸足で逃げ出すほどの怨霊だ。

漠然としすぎで、解決するツボが見えないのだ。

どこぞのライフハック術ではないが、立ち向かうべき目前の課題は小さい方がいい。

課題を細分化して、就職するために自分に足りないものを、ひとつずつ片付けていこう。

僕の場合は、早くバイトにありつかなければならない。

(就活と生活資金、面接でアピールするネタづくり、社会に関わる手段として)

ただ、バイト面接で「就活してます」なんて言うと、容赦なく切られることに世の理不尽さを感じるわけだが。



  • 想像力という名の界王拳


界王拳といえば『ドラゴンボール』で悟空が使う技。

「界王拳!」と唱えれば、自分の力を高められるのだ。(『ONE PIECE』におけるギア2?)

ええと、結局、思考が前向きじゃないと就活なんて出来ない。断言。

「俺には無理かなぁ」とか思っているとまったく進めなくなってしまう。

僕の場合、最も思考が前向きになれるのは、自分が楽しく働いているところを想像する時だ。

その想像世界を覗くと、自分が何を活かせるか、どんな仕事をしていきたいか

ということがなんとなくイメージ出来るようになる。


では、想像世界に入る種は何か?

たぶん「人の話を聞くこと」じゃないかなあと思う。

正確に言うと「働いている人の話を聞く」こと。

彼らは嬉々として、やりがいや苦労話を語ってくれる。

それを聞くと「俺もそっちの世界に行きたいなあ」とか思ってしまうのだ。

僕の場合は、ハローワークの担当さんや、知り合いの社長さんといった、仕事世界のベテランに話を伺うことが多い。

(同世代の友達だと自然と仕事の愚痴を聞くことになってしまう\(^o^)/)


他の手段として、やはり本を読むことはいいなと思う。

自分の興味あることを勉強したり、他人の考え方に触れたり、趣味関連のことに現実逃避したり、

わりと健全な時間の過ごし方じゃなかろうか。



まあ、就活ノウハウはそっち専門のブログにまかせよう。

僕の気持ちの姿勢は、人によっては「間違っている!」と言われるかもしれないが

無理して自我が崩壊しても仕方ない。

自分のやり方で、人の意見にも耳を傾けながら、進もう。


また、絵でも描いてみようかな。

小津 四畳半神話大系






2012年7月27日金曜日

踊り場のイチロー



7月24日、イチローが移籍した。

移籍発表から数時間後の試合、いつもと同じセーフコフィールドにいながら、

胸には  NEW YORK

背中には   31


ものすごい違和感。

いまだに実感がわかない。




Trip to Seatle and Vancouver
Trip to Seatle and Vancouver / Akihito Fujii




僕がちゃんと野球を見始めたのは、多分、2000年くらいから。

2001年は、よくBSでイチローを見ていた。

それ以降も、休日の昼間は、よくマリナーズの試合を見ていた。


新人王、MVP、262安打、オールスターMVP、10年連続200安打……

この11年間のイチローは、それはもう、むちゃくちゃ格好良かった。


そして、マリナーズのユニフォームは異常なほどイチローに似合っていたし

広くて、きれいで、落ち着いた、セーフコフィールドもまた、イチローによく馴染む背景だった。




New York Yankees Flag
New York Yankees Flag / Kevin Coles




さて、そんなイチローも、もうヤンキースの選手になってしまったわけだが

これはかなり際どい決断だっただろう。


MLBは実績のあるベテランでも、期待以上の成績が残せなければ簡単にクビになってしまう。

特にアメリカ以外出身の外国人選手はその傾向が強い。

イチローも恐らく、現時点での来季の契約は白紙だろう。

しかし、イチローにとってそんなことは百も承知での決断だったに違いない。






MVP Ichiro!
MVP Ichiro! / jessicafm







近年のイチローの数字は下降していた。


このまま、地元の英雄として最下位球団マリナーズに残ること、

パフォーマンス重視で、身の保証はない常勝球団に移籍すること、

イチローが再び数字を取り戻すには、後者しかなかったんだと思う。

イチローは常に完璧を目指す人間だ。

それが野球選手であること、と本人も言っている。


イチローの父、”チチロー”がインタビューでこう答えていた。

「今は、一朗がプロに入った時と同じ気分」


今まさに、イチローが成熟期から、再び、成長期へ返り咲く時なんだと思う。




イチローの流儀 (新潮文庫)




2012年7月24日火曜日

メスト・エジルに抱いた親近感の正体





先月、サッカーEURO2012が行われ、スペインが圧倒的な強さで優勝した。

僕はサッカー初心者(プレイも観戦も)なわけだが、こういった大きな大会は見る。

そんなサッカー初心者が、2010年のW杯から、やけに気になっている選手がいる。

ドイツ代表のメスト・エジルだ。


Ozil
Ozil / Jan S0L0



ドイツ代表MFのその風貌に、不思議と親近感を抱いて見ていた。自分とは縁もゆかりもないけど。



( ´ー`) 「うちの大学に普通に歩いてそうやなあ…」


そう、エジルはドイツ人の割には、他の白人選手達とは明らかに違っていた。

なんか日本人っぽいのだ。

少なくとも、他のドイツ人選手より遥かに日本人っぽい。



そこで調べてみると、エジルはトルコ系移民の3世らしい(Wiki調べ)

つまり人種的にはトルコがルーツなのだ。



「んなるほど」



エジルに親近感を抱いていた不思議が判明した。


答えを言ってしまうと、トルコ人と日本人は、「親戚」なのだ。



-------------------------------------------------------------

以前、友達みたいな大学の先生と一緒に、草間彌生展へ行き、その後、福島(大阪)のトルコ料理立ち飲みバーに入った。

狭い店内で、トルコのビールを飲みながら、ひよこ豆やらオリーブやらつまんでいると、若いトルコ人の店員さんが僕らに絡んできた。

この人、むちゃくちゃよく喋る。

自分のことやトルコのことを嬉々として語ってくれた。

その中で最も印象的だったのが、トルコ人と日本人の関係のこと。


(  ゚∀゚ ) 「トルコ人が日本を大好きな理由ハネ、昔、トルコの船が日本の和歌山で遭難したトキ、日本人が親切に船員を助けたからって言われテル」

(  ゚∀゚ ) 「それも正しいケド、でもホントはそうじゃナイ」

(  ゚∀゚ ) 「もっと大きな理由がアル」

(  ゚∀゚ ) 「トルコ人も日本人も、人種のルーツがモンゴルにアルの。つまりトルコ人と日本人は親戚」

(  ゚∀゚ ) 「だからトルコ人、日本人のことダイスキ。そういう理由なのネ」


こんな感じでしゃべっていた。


トルコ人のルーツがモンゴルにあるなんて全然知らなかった。


2002年W杯では、決勝トーナメントでトルコと日本が当たることになった時に、テレビで親日国トルコの事がやたらと紹介されてたが

こんな理由があったなんて、どこも教えてくれなかった。

というか、やはり日本人はそんなこと知らなかったんだと思う。


そして、人種のルーツが同じだからって「親戚」とか言ってくれるトルコ人に驚いた。

んで、やっぱり嬉しかった。

もちろん、全てのトルコ人がそう思っているわけではないと思うが。

-------------------------------------------------------------



こんな経験があり、エジルに親近感を覚えたことに納得した。

なんたって、僕とエジルは「親戚」らしいのだ\(^q^)/








TRANSIT(トランジット)15号  美しきトルコの魔法 (講談社 Mook(J))





2012年7月19日木曜日

あたまの掃き溜め




「そろそろブログでも書いてみようか」


そう思い続けて、何年たっただろうか。


とりあえずブログを開設してみたのも、何回目だろうか。



きっかけは、応募しようと思ったとある企画制作職の求人。


求人いわく


「文章を書く仕事だよ?当然、ブログくらい書いてるよねぇ?ププ


ぐぬぬ……




それならば、今度こそブログを書いてやろうと思う。


と言っても、知人に見てもらう気もなければ、小銭を稼ぐ手段にする気もない。


目的は2つ


  • 頭の中のごにょごにょしたモノを言語化する

  • …(特に思いつかない)


というわけで


将来有望な就職浪人生がシタタメていきます。



野球 / 海外サッカー / 広告 / 時事 / 経済 / 書籍 / 
その他いろいろ / ふだんの日記


などなどネタにしていこうかな。






2012年7月18日水曜日