2012年10月1日月曜日

映画「コッホ先生と僕らの革命」、感想。


ずいぶん久しぶりに映画を見た。

はじめて京都シネマで映画を見た。

あのぐらいミニマルな劇場もよいなあ、と。


「コッホ先生と僕らの革命」
(公式サイト:http://kakumei.gaga.ne.jp/top.html

コッホ先生と僕らの革命














<ストーリー>
1874年、イギリス留学を終え、ドイツへと帰国したコンラート・コッホ(ダニエル・ブリュール)。とある名門校へ英語教師として赴任した彼は、授業の一環としてサッカーを教える。サッカーを通して、子どもたちはフェアプレーとスポーツマンシップの精神を学び、それまで抱えていた階級や国籍に対する偏見が少しずつ薄れていった。しかし、帝国主義下にあったドイツでは反英感情が高まっており、イギリスで確立されたサッカーは反社会的なものの象徴であった。地元の有力者やほかの教師たちは、コッホを学校から追い出そうとするが……。




簡潔に感想を述べるなら……(以下、一部ネタバレあり)





既視感のある展開だったが……よかった!

何が?


「サッカーは素晴らしい!」

とか

「学校教育は大切だ!」

とかじゃなくて



心がぐぁーっとアツくなる楽しさみたいなもの?

そんなものの前では、人間の関係はフラットに、みんな一人の人になる。

身分とか、貧富の差とか関係なく、だ。

劇中、いじめっ子(裕福な家庭)のフェリックスと、いじめられっ子(貧しい家庭)のヨストが、最初はバリバリのいじめ・いじめられの関係だったが、最終的には試合で抱き合って喜び合っていたのがとても印象的だった。

涙腺に震度4くらいの衝撃が^^;

(貧しくいじめられっ子のヨストが、メッシばりの切り込みを見せていたのには思わず笑ってしまったw)

そのような階級社会での生徒の身分差。

さらに、規律と統制でガチガチの帝政ドイツと、イギリスから来た自由なサッカーという摩擦。

このギャップや軋轢まみれの人間関係を、そのぐぁーっとアツくなる楽しさみたいなものが人々をひとつにする。

そういうのって、やっぱ、素敵やん、と再認識させてもらった。


これはサッカーに限らず、アートでも同じだ。

例えば、ブラジルのリオは住んでいる人の格差が大きい

しかし、カーニバルになると身分関係なく街がひとつになるそうだ。


なーんとなく、そういうことっていちばん大事だなあと、なーんとなく、しかし激しく感じた。




ついでに、

フェリックスの人間関係とそれに伴う心境も、興味深かった。

・ クラスのボスで陰湿ないじめっ子のフェリックス。新任のコッホに反発するが、次第にサッカーの魅力にとりつかれていき、やがてチームの一員に。

・ 強大な権力をもち、息子も服従させる父親をもつフェリックス。その父親に強制され、従い続けるが……

・ 家の使用人に恋をするフェリックス。身分違いの恋愛を父親に引き裂かれるが、黙って従うのももう終わりだ!このクソ親父!


といった感じで、

父親に従い続けるフェリックスが、やがて、父親とクラスメイトとの板挟みになるような状況になり、最後は、父親に反発し、仲間とのサッカー、恋愛という自らの意志に従っていく。

フェリックスがいろんなものと闘っていることがわかる。




ついでについでに、

この映画は19世紀末のドイツが舞台。

劇中に出てくる人の服装がみんなお洒落で印象に残った。

教育委員会の偉いおっさんも、学校の生徒も、工場で働く女性も、

みんなベーシックカラーに身を包み

それぞれ、いろんな形の襟をしたシャツや、ハンチング、チェックのベスト、革のブーツなどなど

この時代に当たり前だったファッションが、すごく新鮮に見えた。

これも、この映画の見所のひとつだと思う。


たまには映画を、それもミニシアターを見るのもいいなと思えましたっ。


ちゃんちゃん







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