9月、ちょうどよい気温です。
とくに夕方から夜にかけて、私たちを包みこむ空気は、やわらかくてとても心地よいですね。
日本の四季は素晴らしい!
さて
最近、なにかとジェンダー論に関することが僕の中で話題です。
美容室に行けば、「taco894くんは中性的だよね」とか、
「女性以外の応募はお断り」の求人に出くわしたり、
マツコ・デラックスが深夜番組でジェンダーについて熱く語ってたり(これについては印象的だったのでまた別記事で書きたいな)
女性だから、男性だから、みたいなワードをほいほいと僕のアンテナが拾っていく今日この頃です。
といっても、1年以上前から(セクシャル)マイノリティに関係する大学の先生たちと知り合っていたので、そのようなことについて考える機会はあったのですが。
さてさて
そこでひとつ思い出したことがあり、取り上げたいことがあります。
「道路(歩道)の車道側は、男が歩かなくてはいけないのか?」
以前、このことで母と口論したり(苦笑)
友達(女性)の意見を聞いて、ふんふんと頷いたりしました。
僕個人の暫定的な意見を言うと、
「少なくとも僕は車道側を歩く、わざとらしくない程度に」
という、おぼろげで不確定な感じです^^;
理由は
・ 男性のほうが、衝撃からのダメージに強い(ハズ……今でもよくわからん)。
・ かっこつけたいというエゴ
・ 「男だから車道側を歩かなきゃみっともない」という得体の知れない風潮に対する怯え
気の強い女性が隣だとそのまま安全な方を歩いたりしますが。
(そもそも、そんなに女性と歩く機会もあまりないけど)
こうしてみると、「男だから女を守らなきゃいけない」という考えに寄ってますね。
しかし、友達(女性)は言いました。
「男に車道側を歩かれるとムカツク!」
理由は
・ 何カッコつけようとしてんねん、腹立つ!
・ そもそも女扱いされると腹立つ!
・ 女性のほうが男性に比べて痛みに耐えられる身体の構造
女性にもいろんな人がいると思いますが、そこにいた2人の友達はこのように意見が一致。
どちらも女子プロレスラーや肥満体型ではなく、僕より華奢な体つきの普通の女の子ですが。
あれあれ、女性は守られて嬉しいみたいに思うんじゃないのか、と当時は少々驚きました。
しかししかし一方で、僕の母親は言いました。
「あんた、女の子と一緒ん時は、ちゃんと車道側歩いとるんな?」
「そんぐらい出来んと、あんた、ダメよ(嘲笑)」
前述の友達の件があったので
「すべての女性がそうじゃない」
と反論するも
「じゃけえ、あんたはダメなんよ(嘲笑)」
そして、息子の立場では、もう何を言っても無駄だと悟りこの話題は流しました。
これらの件から思うこと。
「男だから~すべき」
「女は~な生き物」
「男だから」、「女だから」という区別。
これは……なんじゃろな??
そもそも、男女の性別を区別する要素は何か、と、これを書き出したら長くなるので割愛。
しかし、<男・女>はおそらくアンケート用紙に○をつけるように、2つに別れるようなものではないんじゃないか。
おそらく、これは僕のイメージだが、男女というのはグラデーションのようなもので
戸籍上は男性でも、女性らしい人もいる。
戸籍上は女性でも、男性らしい人もいる。
そして、オカマやオナベもいるし、性同一性障害に悩む人もいる。
ん?性同一性障害を「障害」たらしめているものって、心身の機能不全とかでは全くなくて、この社会の環境じゃないか(と今思った)。
といった具合に、男女で身体の特徴(性差)はあれど、それに宿る心については、中心にボーダーを引いて、「こっから男ね」、「こっからは女ね」と区切れるものではないんじゃないかと思う。
身体に関しても、たまたま男女がそれぞれの生殖機能をもっているだけであって
だから「女性は子供を産まなきゃいけない」とかっていう「性役割」を押し付けられる必要もない。
他にも…と言いたいことが山ほどあるが、掘ったらキリがないので、最初のテーマに戻ります。
ええと、「道路(歩道)の車道側は、男が歩かなくてはいけないのか?」
男だから歩く必要はないし、歩かない男はダメじゃないし、女だから守られる必要もない。
男だから、女だから、というものを取っ払って、ゼロベースからの個人の自由にどうぞということで。
僕の「かっこつけいたいというエゴ」というのも、人によっては迷惑なものなんだろうな。
でもやっぱり、サッと車道側に(さりげなく)移って、女の子に「ありがとう^^」と言われるのは気分いいです(「ありがとう」と言われるってことは気を遣われてるんだろうけど)。
この辺は、僕という個体の中の「男らしさの部分」みたいなものが反応してるんだろうか。
うむうむ、本当に難しいテーマだ。
僕もジェンダーについてはまだまだ関心をもったばかりなので、わからんことばかりです。
しかし、今のように社会的劣位やマイノリティについて考えたり、
身の回りの事象について、あたりまえを疑い、考えないことを疑う。
そうして一歩一歩、「成熟した市民」になっていきたいものです。

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