2012年10月8日月曜日

不思議の街、天王寺と飛田新地


いやらしくない風俗のお話


タイトルなし
タイトルなし / titanium22




世は三連休。

とくにすることもないので、部屋で大人しくしていようと思ったが

18時ごろ、大学時代の友人に呼ばれて天王寺へ。

普段は京都に引きこもっていて、大阪は梅田より南に行くのは、5月にミスチルライブで京セラドームに行って以来というインドアっぷり

いや、イン洛っぷり?

天王寺も1年以上ぶりである。


待ち合わせの阪急梅田紀伊国屋さんで、木爾チレンの『静電気と、未夜子の無意識』を探すも、棚に無し…

なんでや!検索端末には「在庫状況◎」って表示されてたやん!


さて、

21時。

この日は友人の散策メニューにより、いったん日本橋へ。

日本橋で風俗店のひやかしをして、お姉ちゃんパネルを30人分くらい拝見。

ぼくちん風俗ははじめてなので友人&店員のテンションについていけず、写真もぜんぜんピンとこない。

パネルに写っているお姉ちゃんは、リアリティがなくて全然興味がわきませんでした。

ヘラヘラと苦笑いを顔に貼っつけた僕を連れて、友人は南へ。


日本橋から天王寺まで徒歩で向かったわけですが、この道中が案外、おもしろかった。


お寺の脇にある、清水の三年坂を思わせる趣きのある坂道

京都と違うのは、その背景にラブホテルのネオンが輝いていること。


天王寺駅の北にある美術館。

その敷地内を通る道は、緑にかこまれて、空気が落ち着いていて、天王寺にもこんな所があるんやなあ、と思わせた。

(この辺りは、あいりん地区のイメージが個人的に強かった)

まるで東京の上野みたいだった。

上野と違うのは、西の夜空に通天閣が顔を出していたこと。

ああ、ここは大阪なんだと確認できるこれ以上のものはないでしょう。(ちなみにこの日の通天閣は、黄色い光の縞模様)


あとは、SHIPSのお洒落な建物の真正面にラブホテルが位置していたりと

京都に引きこもっていた僕には、いろいろと刺激的な街だった。

京都の碁盤の目と違って、ナナメの道が所々に存在する、そんな普通のことすらも新鮮だった。


さてさて、

天王寺駅を南にいって、閑静なマンション街をうろうろ。

Googleマップさんによれば真っ直ぐのびた道を進めばあの街に到着するはず……

しかし一本道は突き当りに。

「あれー?この辺なんやけどなあ」

と、その時、突き当りに見えた道の足元に階段を発見。

マンション街のいちばん端っこに、まるで舞台を降りるかのような階段があるのだ。

ま さ か

夜の23時半、好奇心と手をつないで階段を降りた瞬間、あの街があらわれた。

飛田新地だ。


Tobitashinch / 飛田新地
Tobitashinch / 飛田新地 / titanium22



<飛田新地とは>
飛田遊郭(とびたゆうかく)は、大阪市の遊郭、赤線である。通称は飛田新地(とびたしんち)。大正時代に築かれた日本最大級の遊郭と言われた。 (Wikiより引用)



目前で僕らを誘う街は、さっきまでいた新興マンション街とは明らかに空気が違っていた。

オレンジ色の街灯が、なんとも言えない艶めかしさで街全体を包み込んでいる。


ここは写真を撮ることが暗黙のタブーらしいので写真は撮らず。


早速、ずらりと並ぶお店を、一軒一軒覗いてみるのだが……


レベル高EEEEE!!


噂には聞いていたがこれほどとは。

芸能人レベルかそれ以上の嬢がいるいる。

客引きのおばちゃんの横にちょこんと鎮座する嬢、目が合うとニコッと微笑んでくれる。


可愛EEEEEE!!


もうお店を覗くことに必死で、気付けば道に迷うという

「あれ、ここはもう通ったっけ?」

「この通りはまだ見てないんちゃう?」

下心は道を迷わせる。これ、人生にも当てはまりそう。


30分くらい、好奇心と僕と下心と、三人四脚で街を徘徊した。

お金があれば一度はサービス願いたい。いやマジで。

日本橋の風俗店ではピクリとも動かなかった性欲が、飛田新地ではかなりくすぐられた。



風俗というとやらしいイメージはつきまとうが

ここ飛田新地は、なんというか、とてもきれいだった。

風俗サービスは古くから日本に存在するし、大正生まれではあるが飛田新地はその歴史をずっとそこに携えている。

どんどん開発されていく阿倍野・天王寺エリアの隅で、そこだけ風俗の歴史が生き残っている。

飛田新地という街は、風俗というものをすごくきれいでおもしろく見せる

まるで千と千尋の神隠しのような感じ。

階段を降りると、そこは不思議の街でした

みたいな。

この街は絶対に消しちゃいけない。

とくに責任感もなくそう思った。


それから、もうひとつ飛田新地のおもしろいところ

それは街中、男しかいないことだ(笑)

加えて、通りを車が頻繁に通る

彼らは車の中から一軒一軒店を覗いているのだ。

サファリパークかっ!

友人が飛田新地を「動物園」と表現していて、それはあまりにも失礼だろうと思っていたが……

その光景はサファリパークだった。


結局、その後スパワールドに宿泊して朝には京都に帰った。


天王寺は濃密な空気が漂う、素敵な街だ。

そして、新しく開発された街のすぐ隣に、古い街がひっそりと佇んでいる。

この空気のギャップがとても印象的でした。



ちゃんちゃん
















2012年10月1日月曜日

映画「コッホ先生と僕らの革命」、感想。


ずいぶん久しぶりに映画を見た。

はじめて京都シネマで映画を見た。

あのぐらいミニマルな劇場もよいなあ、と。


「コッホ先生と僕らの革命」
(公式サイト:http://kakumei.gaga.ne.jp/top.html

コッホ先生と僕らの革命














<ストーリー>
1874年、イギリス留学を終え、ドイツへと帰国したコンラート・コッホ(ダニエル・ブリュール)。とある名門校へ英語教師として赴任した彼は、授業の一環としてサッカーを教える。サッカーを通して、子どもたちはフェアプレーとスポーツマンシップの精神を学び、それまで抱えていた階級や国籍に対する偏見が少しずつ薄れていった。しかし、帝国主義下にあったドイツでは反英感情が高まっており、イギリスで確立されたサッカーは反社会的なものの象徴であった。地元の有力者やほかの教師たちは、コッホを学校から追い出そうとするが……。




簡潔に感想を述べるなら……(以下、一部ネタバレあり)





既視感のある展開だったが……よかった!

何が?


「サッカーは素晴らしい!」

とか

「学校教育は大切だ!」

とかじゃなくて



心がぐぁーっとアツくなる楽しさみたいなもの?

そんなものの前では、人間の関係はフラットに、みんな一人の人になる。

身分とか、貧富の差とか関係なく、だ。

劇中、いじめっ子(裕福な家庭)のフェリックスと、いじめられっ子(貧しい家庭)のヨストが、最初はバリバリのいじめ・いじめられの関係だったが、最終的には試合で抱き合って喜び合っていたのがとても印象的だった。

涙腺に震度4くらいの衝撃が^^;

(貧しくいじめられっ子のヨストが、メッシばりの切り込みを見せていたのには思わず笑ってしまったw)

そのような階級社会での生徒の身分差。

さらに、規律と統制でガチガチの帝政ドイツと、イギリスから来た自由なサッカーという摩擦。

このギャップや軋轢まみれの人間関係を、そのぐぁーっとアツくなる楽しさみたいなものが人々をひとつにする。

そういうのって、やっぱ、素敵やん、と再認識させてもらった。


これはサッカーに限らず、アートでも同じだ。

例えば、ブラジルのリオは住んでいる人の格差が大きい

しかし、カーニバルになると身分関係なく街がひとつになるそうだ。


なーんとなく、そういうことっていちばん大事だなあと、なーんとなく、しかし激しく感じた。




ついでに、

フェリックスの人間関係とそれに伴う心境も、興味深かった。

・ クラスのボスで陰湿ないじめっ子のフェリックス。新任のコッホに反発するが、次第にサッカーの魅力にとりつかれていき、やがてチームの一員に。

・ 強大な権力をもち、息子も服従させる父親をもつフェリックス。その父親に強制され、従い続けるが……

・ 家の使用人に恋をするフェリックス。身分違いの恋愛を父親に引き裂かれるが、黙って従うのももう終わりだ!このクソ親父!


といった感じで、

父親に従い続けるフェリックスが、やがて、父親とクラスメイトとの板挟みになるような状況になり、最後は、父親に反発し、仲間とのサッカー、恋愛という自らの意志に従っていく。

フェリックスがいろんなものと闘っていることがわかる。




ついでについでに、

この映画は19世紀末のドイツが舞台。

劇中に出てくる人の服装がみんなお洒落で印象に残った。

教育委員会の偉いおっさんも、学校の生徒も、工場で働く女性も、

みんなベーシックカラーに身を包み

それぞれ、いろんな形の襟をしたシャツや、ハンチング、チェックのベスト、革のブーツなどなど

この時代に当たり前だったファッションが、すごく新鮮に見えた。

これも、この映画の見所のひとつだと思う。


たまには映画を、それもミニシアターを見るのもいいなと思えましたっ。


ちゃんちゃん